「作品のある生活」第1回。前回に引き続きイラストレーター、アーティスト、毛文字モデルなど、さまざまな分野でご活躍のチャンキー松本さん宅にお邪魔しました。チャンキーさんにとっての「作品を買う」とは?

beyer梅田(以下 梅):最初に飛び越えるきっかけっていうのは何ですか? 最初に買った絵とか。

チャンキー松本(以下 チ):それはお金に余裕がないと買えないわね。生活をしてきたうえで、買おうっていう話だと思うし、ある程度年齢いかないと無理だろうね。僕らクリエーターは自分の作品を出すことで必死やから、人のものを自分の部屋に受け入れるほどの度量はないよね。ある程度年齢重ねて、人の一部分を受けいれるだけの度量がないと駄目だろうね。作品っていうそういうものだろうね。
1番最初買ったというのは、ポストカードとかそういうものでしょうね。まぁ音楽造っている人いたら、CD買ったり、アクセサリとか造っている人いたら、買ったり。絵を買うっていうのは最近だろうね。まぁ、そんな気に入る作品というのはそうないしな。観る力っていうのもあるし、心に余裕がないと買えないよね。あとは仕方なく買う事もあるんだろうなぁ。仲間内とか。

梅:欲しいなっていう気持ちになればいいと思うんですよね。

チ:いろんな買うものの中の選択肢の中に「絵を買う」があってもいいよね。

梅:布さんなんかは、応援をしたいから買うっていうのが1番大きいみたいで、若い人とかの作品を見ていたいから、応援したい意味で買うことが多いって言ってはって、それもよくわかりますよね。

チ:それはあるだろうね。それはアーティストやクリエイターが貧乏っていうのを知っている人の発想やな。

梅:それこそ、結局その人の作品が好きだとして、でもその人が作品を書くのをやめてしまったらもう見れないわけでしょう。だから最近よく思うんですよ。保護せなあかんって。

チ:保護ね。人間って皆そうだと思うんですけど、特にモノつくって表現やっている人って旬ってすごくあると思うんですよね。天才でも旬ってあると思うし、そういうのって人生で一回咲いたらええかなって思うんだよね。それは、旬なものは食べ物でも食べた方がいいやん。1番おいしく食べれるわけだし、そういうものは結構残酷にあるんだよね。ずっとマイペースに素敵なものを造れるわけではないんだよね。旬な時に、買って欲しいよね。スポーツ選手もそうじゃないですか。その時に応援せなしゃあないわな。
世の中の人が欲しがっているものを皆造れないやないか。一部分の人しか造れない。それは天才であったり、世に認められる人であるわけで、ほとんどの人はそうではない。

梅:じゃあ皆、公務員をやるほうがいいかというと、そうじゃないと。夢見ない方がいいというのも違うと思う。

チ:アートは勝敗つかないから、もっと応援する人にかかってくるよね。全く世の中にこの人絵をどうやこうやって言ったって、全然通じない。でもワタシは欲しいっていう人が買うわけですよ。僕はまさにそうですよ。そんなに有名な画家さんではないけど、この絵は何か僕に訴えかけてくるものがあって、僕はこれを見続けることができるだろうっていうのがあって買うよね。自分にとって必要というのは何か意味がある。出会いですよね。出会ってしまってこれを自分の一部として取り入れたい、それに対してお金を出す。それは普通のことだと思うよね。それこそ出会いは比較でないよね。比較できないことやら、人のどうのこうの言われることないよね。いや、これは出会ってしまって欲しくなったから買った、しかないんだよね。結局はね。その出会いは自分にとっては1番大事で、自分の人生を考えてなかでそれが全てだよね。そういう出会いってそんなにないっていうことだよね。インターネットだってひとつの出会いだと思うしね。自分が歩いて出会うっていうことなんでしょうね。ふらっと体が先にいっとるんやろうな。この絵が僕を呼んだのかもしれないしね。形のあるものって何かそういう力があると僕は思っているよ。「呼びよるな」っていうね。

梅:それはいい言葉ですね。

チ:形って精神の現れやからね。今の僕が出来ているのはこの5年10年の生き方が形として表れていると思うし、作品も作家の精神が形になるから念がこもるんやろうね。

梅:今ので集約されている感じしますね。

チ:ミュージシャンのどんとっていう人が言ってたんですけど、アーティストは死んだあと作品は情報化されると、肉体がなくなっても情報化されて人に広まっていくっていってたから。かたや形をなくして情報として広まっていくっていうのも現象としてあるよね。

梅:情報は余計にそうかもしれないかもしれないけど、段々効率的に情報を集めるようになっちゃうっていうか、それは悪いことではないし、どうせ集めるやったら効率よくって言う話なんですけど。

チ:皆、無駄な動きしたくないからね。

梅:無駄な動きをしようじゃないけど。

チ:無駄な動きを人間したいわけじゃないけど、例えば、今日朝三倉さんと喧嘩して、家を出てフラーっと歩いてて、お茶でも飲もうかとカフェギャラリーに入って、そこに素敵な絵があって、値段みたら買えない値段じゃないと、その出会いで買うこともあるかもしれない。喧嘩をしたことで外に出て、絵を買ってしまったりとか、そういう出会いというか。無駄じゃないよね。喧嘩しなかったら出会わなかったわけじゃないですか。そういうこともありますよね。まぁ効率したいっていう気持ちもあるわな。ご飯やとかね。

梅:それはありますね。有名な店に行く方が効率はいいですけど。間違いはないからね。でも最近ビックリするような出会いがないなぁって。想像がつく味を想像をつくような店で食べているというか、それって情報のせいなのかなって。これはちょっと違うなって。

チ:ドキドキがないわな。例えば、若いときって2000円くらいのレコードを買うのは、大博打ですよ。それこそ、このCD何点とか書いてある本なんてなかったわけですよ。ボブディランの有名な人やし、これかなあ、これかなぁって必死で全部みて、3時間くらいみて、それで選んでもうて聞いたら、うわカントリーやん、ってね。でもね、それでも一生懸命聞くわけですよね。一生懸命聞くし、それこそ損したくっていう気持ちがあるし、人間ってずっと聞いてたら愛着わくし、人間って理解していくんだよね。それでしょ。

梅:そう。そういうのが足りない。音楽とか最近ないですよね。

チ:ハズレないじゃないですか。

梅:驚きがほんまにない。僕らもジャケ買いして、えっっていうのがね。

チ:一生懸命歌詞も呼んだりね。そういう必死さはないよね。しゃあないけどね。それは便利と引き換えのいいこと悪い事があると思う。確かにアートなんかはそういうのあるよね。これ買う時どうしようかなぁ。これずっと部屋に飾っておけるかなぁっていうドキドキ感はあるよね。

梅:それはあるよなぁ。

チ:必死に好きになろうとする。でも極端に言うたらさ、この絵を好きになろうと思ったら、ずっと見てたらいいんちゃう。好きなると思うで、人間て。どんな人でも。これしかないところに部屋に閉じ込められて好きになろうと思ったら、ここにいろんなもの見出すじゃないですか。そこが面白いじゃないですか。そこだと思うんだよね。好きになろうとか、理解しようとかそれが少ないようね。わかろうとか、感じようとか。しないよね。皆、出来たら悪いところ見つけたいよね人って、今はね。よくないところをつい見てしまったり、そこで比較してしまって、前の方がよかったなとか言っちゃうけど、じゃないよん。

梅:悪いところも含めて、好きになるとかね。

チ:悪いも良いもないよね。そんなんじゃないよね。こういうのは。

梅:レコードとか音とびがあるじゃないですか。そこの音とびも含めて好きになったりとか。

チ:ブルーハーツの音源とかカセットで聞きたいもん。カセットの汚い音が好きやねん。ガチャとかね。

第3回へつづきます!