「作品のある生活」半年ごしの第1回は、イラストレーター、アーティスト、毛文字モデルなど、さまざまな分野でご活躍のチャンキー松本さん宅にお邪魔しました。これから3回に分けてお届けします。

beyer梅田(以下 梅):作品を買うっていうのがテーマなんですよ。そもそもは、いろんな人がいろんな人の作品を買うようになったらいいじゃないかというのが目的であったんですが、皆がどのように飾ったりしているのか、見たりしているのかを部屋を回ったりとかして、紹介させてもらったらと思っているんです。

チャンキー松本(以下 チ):ここに越してきて、何ヶ月とかやからその前の家ではこれをリビングに展示してたんですよね。こっちは今日持ってきたっていうやつです。これは3年か4年前ですね。買っているのは。一目惚れやね。展示している作品を出来たら全部買いたいっていうくらいの素敵な作品展で、10枚くらいの中から迷った一枚ですね。家ですね。

梅:家ですね。

チ:こういう家らしい家、平屋の庭があって、何か昔住んでた家っぽい感じなんですよね。

梅:ご実家の方ですか?

チ:そうそう。そういう親近感があるのかな。僕自身も毎年展覧会している中で、家というものに拘ってたというのもあるのかな。いろいろリンクしたところもあって。

梅:他にも何か描かれていたのですか?

チ:家以外にも描いてましたよ。何気ない風景かな。すごい念のある絵やなと思って。強いけど、ずっと傍に置いてても見れるというか、飽きない絵かな。

梅:なるほどねぇ。

チ:何か触れたんやろうね。琴線に。

梅:ずっとリビングに掛けてはったんですよね。

チ:そうそう。自分の作品と並べてみたりして。

梅:ずっと見てるのっていうのって、どんなんでしょうね。自分の場合はデザインをやっているから、例えば作品の構成と色使いの参考に手元に置いておきたいなとか。他にもデータとして置いていたりするんですけど。でも作品としてモノとして買って持っておきたいっていうのが何個かあって、それは何なんだろうって思って。

チ:そうやね。絵だけやったらデータに入れといて、見たい時に見りゃいいよね。でも見たい時じゃないけど、見えるっていいんじゃない。

梅:目に入ってくるっていうことですよね。

チ:そう。生活の場におくっていうことは、意識するんじゃなくて、視界に入るってことだよね。その時に苦にならないとか、邪魔にならないというのが大きいと思うよね。ちょっと邪魔になる作品はしんどいよね。

梅:自分の生活と調和するっていうか。

チ:調和するのはデータでは今のところ無理かな。あと単純に重さとか、キャンバスとか布とか、モノの肌触りとかありますよね。僕もイラストレーターやっているから、イラストレーションというのはデータでいいわけだけど、これはそういうわけではないですよね。形に残る。仕事のイラストレーションではないんだよね。実感。買うって結構勇気いることやしね。僕らでも絵で何万というのは結構悩むもんね。

梅:悩みますよね。

チ:服が2万とかでしたら全然買うじゃないですか。でも絵が3万とかだと悩みますよね。

梅:その辺を変えていきたいというか、ちょっとしたところでハードルを越えるきっかけみたいになれば面白いよなって思うんですよね。自分が越えられるハードルの高さを決めておくっていうか、例えば5万円までだったらだそうとか。でも結局そこを飛び越えるのは勇気いりますよね。そこらへんを聞いていきたいというか。

チ:極端に言えば、僕らは自分の見たい世界って自分で作るわけじゃないですか。そうやって飾っといたらいいわけじゃないですか。でもわざわざ欲しくなる絵というのは、自分でも造ってみたり描いてみたい絵ではあるよね。だから欲しいんでしょうね。でないと、自分で造っちゃうもんね。僕なんかは。
普段はクリエイトする人じゃない人は、服とかアクセサリとかにはお金出すわけですけどね。作品となるともう一個高いハードルになるのが気になるっていうわけよね。

梅:例えば、こんなテレビとかって価格が全てじゃないですか。

チ:決まっているしね。

梅:安いところで買うとか、そういうことになっていくと思うんですよね。絵ってそうじゃないじゃないですか。原価いくらやねんって言われたら、何百円とか何千円だと思うんですよ。そうじゃないところで価値を見出せたら、全部のところに価値観が生まれると思うんですよね。ご飯とか音楽とか家具とか家とか。

チ:オーダーメイドってあるじゃないですか。オーダーメイドって既製品より高いとおもうけど、自分だけに対して造られたものってお金を払いたくなるじゃないですか。それも贅沢ですよ。アートもオーダーメイドとは言わないけど、これも何千人の人が見たって、僕が欲しいと思って僕が買ったとしたら芸術作品としてはオッケーじゃないですか。世の中の999人の人が興味なくても。オーダーメイドとは違うんだけど、自分一人に訴えてくるものがあるから買うんだろうね。

梅:そのへんの価値観みたいなものがアートが一番示し易いと思うんですよね。

チ:ある人にとっては無駄なものではあるけど、ある人にとっては強烈に響くもの。その強烈に響くものに対してのお金を対価として払うっていうのはずっと自分の傍に近づかせるっていうことだよね。ギャラリーとか美術館じゃなくて、もっと自分のプライベートの部屋に持ってきたいわけだから。

梅:その持ってきたいという気持ちを信じられるかどうかってことじゃないですか。5万円の価値をこの絵に見出せたっていうのが、おおげさかもしれないけど、自分の自信みたいになるんじゃないかなって思うんですよね。

チ:高い服とか買ったら、その後皆に聞くよね。「これ2~3万したけどどうかな」とかね。皆も気を使うから、「ええと思うよ一生着れるよ」とか言うやねん。皆不安だと思うねん。服で何万というのも高い。でも人に聞いて納得したりしてね。

梅:有名の人は別だと思うんだけど、あまり知られていない人の作品、有名無名ではなくて外からの情報以外のところで、それを買う買わないっていうような価値観を自分に造る事っていうのが結構いいんじゃないかなって気がするんです。

チ:比較しないっていうことだよね。それは。

梅:単純にお金の比較ではなく、いい悪いの比較ではなく、自分がこれに対してコレだけの対価が払えるかどうかっていう。それが如実に表れるっていうか。

チ:そうだろうね。僕も絵とかを教えていますけど、そういうことやろうね。どんな生徒が書いてきたものでも、一応成績はつけるけどね、本来は比較できなものだもんね。今のその人にしか形として表れないものがきっとアートであり作品なのかな。それが不完全に未熟でも、それは今のその人にしか出ないものだよね。比較するものじゃないよね。

梅:それにお金に払うというような人がいれば、経済が成立するのだと思うし、いなければ食べていけないわけで。

チ:お金って難しいよね。

梅:お金の話になってしまうんですよね。そればっかり言うのも嫌らしいけど、結局そこにいきついちゃうっていうかね。

チ:まぁ、神社とかいっても100円でも投げてお祈りするじゃないですか。ある種自分の中の何かを削ることで得るものが何かあるんやろうな。それに見合った何か興奮だったり、喜びが欲しいわけじゃないですか。自分が削ったもので返ってきたものが喜びが大きければ、最高幸せってことになるけど、少なかったら皆怒るわけですよね。

梅:少ないんでしょうね。旅行に行くとか、食べ物とかゲームとかに比べて、作品は刺激が少ないんでしょうね。なるほどね。

チ:それに対価以上の喜びを感じる人は少ないだろうな。それは一つ訓練が必要だろうし。

梅:訓練かぁ。

チ:慣れとかね。

第2回へつづきます!